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映画のレビュー「どうすればよかったか?」

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今回は映画のレビューを書いていきたいと思います。

作品について

 「どうすればよかったか?」は、藤野知明さんが監督・撮影・編集をされたドキュメンタリー映画で、公開されたのは2024年です。

2026年1月に書籍が発売されています。

私は映画鑑賞後に、すぐに書籍も購入しました。

そして同年2月に「Filmarks Awards 2025」国内映画 ミニシアター部門の最優秀賞を監督が受賞されています。


鑑賞することになったきっかけ

 私は以前、精神疾患のある方と関わりのある仕事をしていました。その為もともとこの作品にとても興味がありました。

なぜこの映画を知ることになったのかの、きっかけは覚えていません。でも作品のことを知ってすぐに、とても見たいと思いました。

 ただ、この作品の公開当時は2人目の子供を出産してからあまり経っておらず、授乳も頻回にしていたので、子供と離れて長時間過ごすことができず、見に行くことができませんでした。とても残念でしたが、仕方がないと諦めました。

しかしその後もどうしても諦めきれず、時々ネットで公式サイトを覗いて再上映の予定がないかを見てみたり、サブスクリプションでの取り扱いはないかを調べてみたりしていました。しかし再上映やサブスクリプションでの取り扱いはなさそうで、見ることを諦めて、いつしかこの作品のことを忘れかけていました。

 ある夜に、携帯でたまったメールの件名のチェックをしていると、この作品の題名がとびこんできました。見てみると、作品の書籍化に伴うアンコール上映が行われることのお知らせでした。

絶対に行きたい!と思いましたが、いろいろと問題がありました。

アンコール上映なので上映期間は短く限られていましたが、我が家は既にお休みの日の予定をかなりつめて入れてしまっており、行ける可能性がありそうな日は1日しかありませんでした。さらにもともと夫がその日に既に予定を入れてしまっていて、もし行くとなったらその予定をキャンセルしてもらい、子供2人を半日以上夫に1人で見てもらわないといけない。また上映場所も電車でしばらくかかる、遠い場所でした。

それでも、やはりどうしても見に行きたくて。この作品を見れる最後のチャンスかもしれない。そう思って夫にお願いして、なんとか見に行けることになりました。

映画を見た感想

子供と親の関係性、それによる子供への影響

 見ている間に、いろいろなことを思い出しました。

精神科の病棟で出会った患者さん達と、その家族のことを。

いろいろなことを感じた中で 何よりも思うのは、ある時期までは確実に、子供にとっては親が世界の全てだということです。

それは大きくなるまでのことのようで、そうではなく、ある意味ではずっとそうなのかもしれません。

それくらい、子供を育てるということは責任の重い、本当に大切な仕事なんだと思います。

 ここについては、監督自身が持たれている考えと私の考えは明確に異なります。あくまでも私の考えとなるのですが…

子供は親から期待されていると思うと、それに必死で応えようとします。親の望む姿でないと愛されないと思っていたとすると、その必死さはより強まります。

親の望む姿でありたいと努力して頑張りすぎたひずみは、必ずどこかで現れます。それが外に向いて非行に走るか、内に向いてひきもりになったり精神疾患を患うかは、人それぞれ違ってくるのだと思っています。

親が子を愛する気持ちより、はるかにずっと子が親を愛する気持ちの方が大きいとも、私は思っています。子供は親を責められないかわりに、自分を責める。

だからおねえさんも、病気になるしかなかったのではないかと、思わずにはいられないのです。

 子供のありのままの姿を愛してあげることが本当に大切なのだと感じます。

子供は自分とは全く違う別の存在、ある意味では他人であるということ、どれだけ小さくとも大きくても尊重されるべき1人の人間だということを、忘れずにいないといけないとも思いました。

子供は親を見て育つ

 子供は親の言うように育つのではなく、親のやることを見てそのまま育つ、親が育てたようにしか育たない、と私は思っています。(産まれ持った障害や特性がある場合は別として)

どれだけああしなさいこうしなさいと言って聞かせたとしても、結局は親がしていることをそのまま真似てするようになる。だから、ああだこうだ言うより自分がきちんと生きていく姿を見せるのが1番良いのだろうと思っています。

そうは思っていても、ああだこうだ言ってしまうし、きちんとした姿なんてなかなか見せられないのですが…。

 他者との愛着関係の築き方や、情動コントロールについては特に、親の影響を色濃く受けます。

特に怒り方についてなどは、子供は親と同じやり方をするようになることが多いのではないでしょうか?

それしか知らないから、それを自然にそっくりそのまま真似るようになることはあると思います。逆に反面教師で真逆の行動をとるようになる場合もあるかもしれませんが…。

親の子供への愛が与える影響

 愛があるからこそ、家族を責めたいけど責められない。映画の中で監督のおねえさんや監督のそんな気持ちを感じる場面を何度も目にしました。

愛情というのは時に厄介なものでもあると思っています。間違った子供への関わりの根本に愛情がある場合は特に。

子供にとって良いことをしようとすればするほど、子供を追い詰め苦しめている。でも親はそのことに気づいてはいなくて、良い方向へ向かっている、それが正しいと思っている。

そしてその代償を背負うのは他の誰でもない子供なのです。

精神疾患を持つ患者さんと家族の関係と、その影響

 映画を見ていて、今の世の中であれば当時とはいろいろ変わってきていて、何か支援の方法もあったのかもしれないとも思いました。

でも結局は、精神科の患者にとって家族の存在は良くも悪くも大きいもので、その存在によって治療や予後が左右されてしまう事は、当時と変わらずあるようにも思います。

親ががっちりガードして受診や治療を阻んでしまえば、そこからどうすることもできなくなってしまう。

それを思うと、やはり今も昔も、治療につなげるには難しい事例だったのだと思います。

 監督のようにきょうだいがSOSを出す、治療につなげられるように関わるという場合も、時にあるように感じます。

きょうだいは親が亡き後、精神疾患をもつ患者さんにとっては次に関わりの深い肉親となります。

人によって関りを深くもつ人、疎遠になっている人、できる範囲のことをする人と様々だと思います。

その人が無理のない範囲でできることをしたければすればいい、できないのならやめてもいいと、私は個人的には思っています。

 そして家族以外にも支援できる人や理解してくれる人が増えて、世の中や環境が変化していけるように、統合失調症や精神科の病気について知る人が 少しでも増えていくといいなと思います。

まだまだ、精神疾患についてはよくわからない、知らない人が多いのではないでしょうか?

精神疾患はけして自分とは関係のない病気、他人事ではありません。

患者数や死亡率の高い日本の5大疾患の中には、精神疾患が含まれています。

誰でも心の病気にかかる可能性はあるのだと思います。

責めるより支援することの大切さ

 私はいつも、問題が起こった時につい誰かを責めたくなってしまいます。この人がこうしたのが良くなかった。こうするべきだった。こうしたからこうなった、と。

でもそれをやったとしても、何も解決しません。

自分の責任と他者の責任、自分のしたことによる影響と他者のしたことによる影響を、わけて考えることは必要だと思います。

全て自分のせいにするのではなく。

このことがあったからこうなったのだと、事実を認識して受け止めることは必要だと思っています。

 ただ誰かの支援をしたい時は特に、その誰かを責めても何の意味がないのです。悪かったところ、良くなかったところを非難されるだけでは、人はなかなか変われないと感じています。

逆に非難されると、人は変われなくなってしまう。

それよりもその人を暖かく受容して気持ちに寄り添い、支援することが必要で、そうしてみて初めて相手が変わる可能性が出てくくるのではないかと思います。

私はつい他者を否定して非難してしまいがちなので、自分自身の支援する力や能力の弱さを感じるところです。

否定や非難は何も産みません。

病状の悪い患者さんに話しかける、話を聞こうとすること

 映画の中で監督が病状の悪い時のおねえさんに話しかけて、おねえさんの話を聞こうとする場面がありました。

私も仕事をしている中で、そういった場面があったことを思い出しました。

意味不明な言葉を話し続ける人、または全く何も話さない人、幻覚や妄想に満ちた世界に身を置いている人に、話しかける。話を聞こうとする。

もちろんどちらもケアをする、関わる上で大切なことです。

幻覚や妄想には意味があり、精神症状はその人の抱える不安や背景からきているものが多いです。

その中でも、この人は何を考えているんだろう?と、不思議な気持ちになったのを覚えています。

 特に思い出すのは、人格が荒廃し混乱した状態であったり、知的レベルの低下した患者さん。

そういう患者さんを前に、思わずいろいろなことを話しかけたことがありました。

何を考えているのか、どうしてこうなってしまったのか、その時は知りたかったのだと思います。

未治療からの回復度合いに感じた驚き

 監督のおねえさんはある程度回復されて、意思の疎通ができるようになられていましたが、私の知っていた患者さんの中には、そうではない人も多くいました。

知的レベルや人格水準の低下が元に戻らない場合もあったように思います。

なので回復されたおねえさんの姿を見てとても驚いたのと同時に、安堵しましたし、精神薬の力を感じました。(それだけによるものではなかったのかもしれませんが)

昔と今の、子供への関わり方やその考え方の変化

 子供のありのままを愛するということは、昔はそれが当たり前のことではなかったのだと感じます。

家庭によるのかもしれません。昔でも子供のありのままを愛してくれる家庭や親は存在したのかもしれません。

ただ少なくとも私の祖父母や親を思いだしてみても、そうではありませんでした。

親の希望する仕事を子供にさせようとする、勉強ができないと愛されないと子供が感じるような態度をとる、きょうだいで差のある関わりをする。

対して正しいのは、どんな感情を子供がもってもOKであると肯定する、子供を他者と比較しない、人格否定をしない。

細かく言うと、すぐに変えられない他者の特徴を指摘しないとか、そういうものも含まれそうです。

 ありのままの自分を親に愛してもらえないと、自分でも自分を愛することが難しくなります。

自分にはいいところも悪いところもあるけれど、いいところも悪いところも含めて結構自分はいい感じだし、いいところだけなでくなく悪いところもある自分をひっくるめて好きだと思える。そういう自己肯定感をもてるかどうかは親の関わりが大きく影響していきます。

今はそういった自己肯定感についてや親から子供への関りについて、本やメディアで知る機会も増えて、より親から子への良い関わり方、良くない関わり方についてが、昔より知られるようになっているところがあるのではないかと感じます。

受診から遠ざかった理由

 監督がお父さんに質問した、おねえさんをすぐに精神科へ通院・入院させなかった理由として、世間がもつ精神疾患への偏見や悪いイメージを気にしていたことがあがっていました。

また精神疾患の治療歴があることがおねえさんに与える影響についてや、精神科自体が抱える問題についてもあったのだと思います。

昔は今よりも、精神疾患にかかることは恥ずかしいこと、隠すべきことという考えが強かったのではないかと思います。

もしかしたら今でもそうなのでしょうか…?

家族の中に精神疾患の人がいると縁談に影響するとか、そういうことでしょうか。

確かに正直なところ、もし例えば結婚相手の近い関係の親族でそういったことがあるとわかったとしたら、確かに全く気にならないかと言えば嘘になるかもしれません。それは気になるとは思うのですが…。

でもだからと言って精神疾患がは恥ずべきものであるとか、隠すべきものだとは全く思いません。

私の印象やイメージでは、精神疾患を患う人はもともとは優しくナイーブな人が多いように思います。

ただ精神疾患を患っていたり既往がある場合、そうであってはならないことですが、仕事につくという面では影響がある場合もあるのかもしれないとも思います。

 また、精神科が抱える問題というのは、職員からの患者さんへの暴力や、人権が守られない入院環境などのことであると思います。

過去にもごく最近でも、そういった問題は過去や現在のニュースでよく耳にするところだと思います。

けして許されることはありませんが、実際に病院によっては今でも許されないことが起きているということは、残念ながらありえているのだと思います。

本当にそんなことは、あってはならないのですが。

 親は愛しているからこそ、子供を抱え込み、負荷をかけてしまう。

それが子供を追い詰めていると気づかない。

愛しているのに壊してしまう。それは本当に悲しいことです。

監督への尊敬の念

 映画を最初から最後まで見ていて、私はあんな風にきょうだいに献身的にはできないな、監督は本当にすごいなと思いました。

書籍を読んでみて、よりその気持ちは強まりました。

監督自身も心身ともにとても辛い状況で、追い詰められていたのにも関わらず、自身の心の安全の為に距離をとっていた時期もありつつ、最後まで家族やおねえさんのことを諦めず、支援し続けてこられたこと。

けして誰にでもできることではなかったと思います。

 私は兄がいるのですが、きょうだい間の関係はとても冷めており、めったに連絡もとりあいません。

私が同じ立場だったとしたら、はたしてそこまでできただろうか?と思ってしまいます。

監督はおねえさんにかわいがってもらった過去があったから、そこまでおねえさんのことを思って行動し続けることができたのでしょうか?

だからこそ、お葬式でおねえさんの病気のことをなかったことにしようとしているように感じられたお父さんのことを、許せなかったのではないかとも感じました。

座敷牢について

 精神疾患のある患者さんを家に鍵をかけてとじこめ、受診させない。

こういった事例は他にもあるのであろうと思います。

実際にこの映画の事例も、たった10数年ほど前の出来事です。

そういったことがなくなってほしいと心から願わずにいられません。

未治療期間が長かった場合の予後

 私はこれまでの印象として、発症後に長期間未治療であった患者さんについては、予後が悪いというイメージがありました。

それでも映画の中でおねえさんは 治療前と治療後で大きく異なり、会話でコミュニケーションをとれるようになり、料理をしたり自身の体を清潔に保ったり、外出したりと、人間らしい生活を送られるようになっていました。

未治療の期間が長くても、治療を受けることでこんなにも病状が良くなり、良い方向に向かっていくこともあるんだと知りました。

病状の波があったり、完全な回復にまでは至らなかったのかもしれませんが… それでも劇的に良くなられている姿を見て、本当に良かったと思いました。

疑問

 精神科の患者さんと関わる中で、多くの疑問が浮かんでくることがありました。

人の一生とはいったいなんなのか?どうしてこんな風になったのか?ずっと病棟の中で、鍵のかかる個室の中で、どうしてこんな風に暮らさなければいけないのか?この人の一生にはどんな意味があるのか?何のために生まれてきたのか?

意味のない人生などないと思っていても、その意味や価値を決めるのは自分ではないと思ってはいても、そう思ってしまうことがありました。

それだけその患者さんの抱える事実がやるせない、自分の身に置き換えたとしたら受け入れがたいものだったのだと思います。

 そこに意味などないのだと思います。ただ事実とその結果がそこにあるだけだと。

それでも今でもふと、そう考えてしまうことがあります。

私にできること、しなければならないことは、できるだけその患者さんの病状が良くなるよう、またより良い生活ができるよう、人生が送れるように支援することでした。

全ての人が健康で幸せに生きられたらいい、そうであってほしいと思います。

最後に

 病気になって、人格が荒廃し、支離滅裂な発言しかできなくなり、幻聴や妄想に左右され、日常のお風呂や食事の動作もままならなくなって。

そんなままで長い間過ごしてきた時間は、自覚がなくともとても辛いものだったと思います。

人間が人間らしく生きられることは当たり前のことではなく、それはとても幸せなことです。

今の自分が健康に過ごせていることのありがたさを、忘れずにいたいと思いました。

そして藤野監督がいてくれて、おねえさんは生きていてよかった、幸せだと思える時間を過ごせたのだったらいいなと思います。

 以上が映画のレビューになります。

読んでいただきありがとうございました。

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